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共感はしないけど今っぽさはわかる。古市憲寿『平成くん、さようなら』感想

第160回芥川賞候補作になった古市憲寿の「平成くん、さようなら」を読んだ。以下、ネタバレありなので、ご承知おきのうえ読み進めてください。

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率直な感想は、「いけすかない主人公だなー、勝手にしたら?」からの「えっ、実は難病もの?」、そして「ラストけっこう切ないじゃん」というところ。

主人公は平成が始まったその日に生まれた男性、平成くん。学生時代に書いた論文が評価されたことをきっかけにメディア露出や著作が増え、平成時代のアイコン的存在として活動するようになる。まったく同じ日に生まれた女性と都内一等地の高層マンションで同棲中。ふたりともめちゃくちゃお金がある(いいなー)。

小説の舞台は平成の日本で、本人の意志による安楽死が法律で認められているという設定。二人がごはんを食べる店やホテル、建物、通りの名前、着ている服のブランドや実在する有名人が固有名詞でバンバン登場して「今の時代」感がとても強い。調べものや情報共有、生活のほとんどすべての管理や記録をGoogleで、という点も「今」っぽい。

今っぽいというか、まさに今、現在進行形の状況をそのまま書いているのであって、「近未来感」とかではないんだよね。だからなのか、文字で示されると「今」のことなのにもう古くさく見えてしまうというか、いちいち説明するのがちょっとダサく見えるというか。小説を読んでいるというよりも、作者自身のための記録文のような印象を受けた。特に前半。主人公は非常に合理的(すぎる)考え方の持ち主なので、それを表現する手法としてはこの文体がベストなのかもしれないけど。

ともかく、徹底的に合理的な平成くんの言動はいちいち淡々としておりいけすかない。が、この合理性や自分至上主義というのは、平成時代を表すある一面ではあるのだろうなと思う。もちろん、「平成らしさ」の捉え方や実感には世代差が大きいだろうけれど。昭和50年代生まれの私、もっと早くに生まれた人、平成の初めに生まれた人、平成二桁時代に生まれた人、それぞれが感じ、享受している「平成のよいところ、悪いところ」は違うよね、きっと。

平成くんは来たる平成時代の終わりとともに安楽死したいと考えており、そのための準備を進める。同棲中の彼女は彼の安楽死をやめさせようとする。平成くんのいうように自分の死を自分で選ぶことは本人の自由…であるようで、残される人の思いとか願いとか記憶の強さっていうのも実際にはあるわけで、両者の間にハッピーな正解ってあるのかなと考えこんでしまった。

平成くんが死を考える理由として、仕事のこと、平成という時代が終わることが挙げられているんだけど、後半で「実は病気を患っている」という告白が。それまで語らなかった自身の生い立ちとか、彼女とともに飼っているネコを勝手に安楽死させたこととかをめぐり、合理性の枠に収まらない感情の起伏や弱さが見えてくる。このあたりで平成くんに対して「憎めない人だな」と「面倒くさい奴だな」の感情が半々に。

終盤、平成くんは彼女に自作のスピーカーを託して姿を消す。彼女が「ねえ平成くん」と話しかけると、過去の膨大なデータからいかにも平成くんが言いそうな答えを返してくれるという特製品。答えを返しているのは仕込んでおいたAIかもしれないし、スピーカーの向こうにいるリアルな平成くんかもしれないのだけれど、音声を受け取る側にはどちらなのかを判断することができないというシロモノ。平成くんが死んでいても生きていても、彼女が呼びかける限りスピーカーからは彼の声が返ってくるのだった。

あれ、なんだか切ない系のラブストーリーなラスト……? だいぶ意外だったけど、読後感は悪くなかった。感情の冷めきった前半の人物造形はどこへいったのという気がしなくもないが、「あなたに死んでほしくない」という彼女に気持ちを動かされ、平成くんならではの形でそれに応じたのがこの結末。まだまだ普通の人の感覚よりだいぶ歪んでいるぞ!と言いたいが、それも含めての今っぽさ、なのかなと思った。実際こんな人が身近にいたら嫌だけどね。「繊細ぶるな、もっと泥くさく生きろ!」って説教したくなりそう(笑)

平成くん、さようなら

平成くん、さようなら