旅と日常のあいだ

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高瀬隼子『うるさいこの音の全部』感想

ゲームセンターで働く長井朝陽の日常は、「早見有日」のペンネームで書いた小説が文学賞を受賞し出版されてから軋みはじめる。兼業作家であることが職場にバレて周囲の朝陽への接し方が微妙に変化し、それとともに執筆中の小説と現実の境界があいまいになっていき……

高瀬隼子さんの『うるさいこの音の全部』を読んだ。いやもう、最っ高におもしろかった! 思考をこじらせて脳内で暴走しまくる主人公。それを第三者目線で妙に客観的に分析しつつ、でも止められずにいる冷静さとか、ヤバさとか、おかしみとか。一部、これは私のことなのか…?とも思ったわ。

主人公は会社員かつ作家。作家であることを公表したくないのだけれども、職場に知られることとなる。会社員としての日常、作家としての立場、自分が書いている小説の世界が、本人の思いとは関係なく、周囲や読者からの評価や思い込みによって混ざり合い、境界が乱されていく。どこからが本当でどこからが創作なのか、どこまでが会社員の私でどこまでが作家の私なのか。そこに生じる焦りや不穏さがじわじわと拡大していくおそろしさ。

主人公は、よかれと思って少しずつ嘘や作り話を重ねていく。「この場面ではこう話すのが正解だろう」「ここではこう振る舞うことを求められてるはず」と、それらしい型を事前に察知して、そこに自分をはめこみ続けて生きることのしんどさよ。。。実際、大なり小なり誰しもがあるよね、こういうことは。

自分が「こう見られたい」と思う姿と、人から見られている姿のあいだにはものすごい距離があって、それは絶対に埋められない。職場でも家族でも友人でも。別にどうとも見られたくないと思っても、勝手なことを言われたり心外な評価をされて自分の耳に入ってくるのはうっとうしい。でも、声を出して「それは違うんだ!」って否定し続けるのはめちゃくちゃパワーがいる。だからとりえあずなんとなくの笑いを浮かべて、傷ついてることを悟られないようその場をやり過ごしておく。そんなことを繰り返しているうちに自分の芯がどっかにいっちゃいそうになる気持ち、すごくよくわかるなと思った。

ナミカワさんは変めているつもりで、朝陽も「ねえ」と嬉しそうに同意したが、頭の中では「そんなことない」と全力で否定していた。こんなことばかりだ。否定しながら同意するのだ。

▲ あるあるある! わかるわかるぅぅ!! 首を100回くらい縦に振って、膝を300回くらい打ちたい。