旅と日常のあいだ

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身近な人が日常から逸脱してしまったら。『水たまりで息をする』感想

高瀬隼子『水たまりで息をする』を読んだ。

ある日、夫が風呂に入らなくなった。夫は、水道水がカルキくさいといい入浴を拒み続ける。妻はペットボトルの水で体を洗うように言うが、夫は雨に打たれて体をすすぐことを選ぶ。そんなとき、夫の体臭が職場で話題になっていると義母から聞かされ、夫婦の問題だと責められる。夫は退職し、これを機に二人は彼女の実家近くに移住する。そばにある川で水浴びをするのが夫の日課となったが……。

ふとしたきっかけで、社会生活における常識というボタンをうまくかけられなくなった夫。この小説では「風呂に入らない(入れない)」という現象として起こったけれど、気がついたら社会の一般的なルールやシステムから逸脱していた、ということは多かれ少なかれ誰にでもあり得る。それを欠点や重大なルール違反と考えるか、個人の自由であり大した問題ではないと考えるかは、立場や視点次第なのだよな。

夫は体臭がひどいために退職を余儀なくされるほどなのに、妻はさほど口出しもせず、取り乱したり精神面の診療を考えることもしない。くさいなあ、困ったなあとは思っている。

妻のこのある意味クールな態度は普通なのか異常なのか? 読者のレビューでは、壊れているのは風呂に入らない夫ではなくそれを半ば放任している妻の方なのではという声もあるけれど、私はそうは思わなかった。夫婦の距離感って実際こんなものかもしれないなと。ここに書かれているのは極端な例だけど、夫婦も結局は一個の他人どうし、お互いなるようにしかならないし、現状を受け入れたうえで無理なくやれることをやっていくのがいいんじゃないかという、そんな話に読めた。あきらめではなく、現実における前向きな選択として。

そもそもお風呂に入らないのがそこまで問題なの?という議論は、それこそ価値観が人それぞれだからおいとくとして。体や頭の皮膚の様子、隠しきれないにおいの描写のリアリティがすごい。行間から、こらえきれない体臭が漂ってくる! 実は個人的には「1日お風呂に入らなくても別に気にしない」派だけど、これを読むと、「ずっと入らないとヤバイことになるんだな…」とゾッとした次第。

一冊まるごと、夫が風呂に入らないことを言い続けてる奇妙な小説なのだけど、ありそうでなさそうな情景と展開に引き込まれて一気読み。そして意外性のあるラスト。そのシーンを思い浮かべるとじわじわとした恐怖が募ってくる。妻の姿勢に対する不信とか、いったい何が悪くてこうなってしまったのかという不安ややりきれなさ、社会の枠組みから外れていく容赦なさへの怖さ。

そして、知ってはいたけれど、夫婦であっても心の底からの理解や共感がおよばない部分がたくさんあるのが当たり前だよねと再認識。