旅と日常のあいだ

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亡霊のような愛の話。桜庭一樹『私の男』

桜庭一樹の『私の男』を読んだ。

有り体に言ってしまうと、「愛されたがりたちの、普通じゃない愛」の話。

シチュエーションもキャラクターも、現実味がないというか、幻想的というか、異端すぎるというか。だって、娘と養父ですよ。読むとさらに驚くことになるわけあり親子。近親者べからざる濃密な関係性に対する生理的な嫌悪と、そこまでしなくちゃ君らは救われないのかという絶望感と、いやしかしそこに救いを求めて完結してちゃ痛々しいだけでしょーという冷めた気持ちがぐちゃぐちゃになって、久しぶりになんか変なもの読んじゃったなあという気持ちだ。物語として面白くなかったわけではない。が、人にすすめたものかどうか。とりあえず、読みながら何度も「気持ちわるっ」と思った。

この気持ち悪さの原因は何なんだろう?と分析するに、「私たちは愛し合ってるから誰にも邪魔させない」「この愛は私たち以外の誰にもわかるわけない」というふたりの在り方が、嫌だったのかなと。いや、愛し合うふたりの世界なんて当事者以外にはそもそも理解不能に決まってるんだけど。『私の男』で描かれるそれはあまりにも特殊なケースで、っていうか罪のにおいがプンプンして、それなのに「私たちは間違っていない、間違っているのは私たちを認めない世界のほう」という態度でいるところが苛々させられた。閉鎖的で異常な愛に完結してるところが。でも、それってもしかしたら羨ましいだけ? 世間のルールに背きながらも満たされているふたりが羨ましくて、でもそんな不道徳な愛を認めることは悔しくて、だからふたりを否定したいのかも。

ああー、わからないのは、愛の前に守るべきルールって何なの?ってこと。「世間の常識なんて関係ない、私たちはただ純粋な気持ちでこうなった」っていう意見があるのはわかる。でもそれって、どこまで貫いていいものなんでしょう、私たちが生きているこの場所で。人を傷つけなければオッケー、か? 法に触れなければいいのか? そんなわけないだろう。すべてを壊してもふたりが良ければそれでいいの、とか言ってみても、本当にふたりきりの世界で生きていけるはずはないし。でも、ふたりの気持ち以上に優先させるべきものなんてあり得るのか? とか、そんなことをぐるぐると考えている。考えてどうなるわけでもないけど。とにかくモヤモヤした読後感の残る小説だった。もう一度読めと言われてもつらいわ。つまらなかったということではなく。

私の男 (文春文庫)

私の男 (文春文庫)

 

しかし改めて、毛色の違ういろんな小説を書く人だなあ、桜庭さん。でもやっぱり、この人には清冽で少女らしい少女を書いてほしい。今のところの私的ベストは『少女七竈と七人の可愛そうな大人』。あの高潔さは、惚れる。

少女七竈と七人の可愛そうな大人 (角川文庫)

少女七竈と七人の可愛そうな大人 (角川文庫)