旅と日常のあいだ

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妄想は絶対不可侵の世界。好きな作家三名の三エッセイ

「好きな作家を三人挙げろ」といわれたらちょっと迷うが、「とくにエッセイが面白い人」といわれたら迷わず答えられる。森見登美彦穂村弘三浦しをん、だ。いま気づいたのだが、三人とも妄想の達人だという共通点があるなあ。そんでみんな文章がうまい。もう、安心しきって読める。で、笑える。

書店に行ったら三人の新刊エッセイが出ていた。興奮のせいで変な顔にならないよう気をつけながら三冊ともレジに持っていく。何たる幸せ。しかも、穂村弘の『ほんとうはちがうんだ日記』(この必死かつ哀愁漂うタイトル)のあとがきは三浦しをんが書いているという予期せぬおまけ付き。三浦しをん穂村弘をどう読むのか? ワタシ的に興味深すぎる組み合わせだ。ちなみに、三浦しをんの『乙女なげやり』は、内容もさることながら章タイトルが秀逸。うますぎて、うなってしまう。乙女かくあるべし、って感じだ。そして今は森見登美彦の『美女と竹林』を読んでいる。

帯のコピーにいわく、「虚実いりまぜて、タケノコと一緒に煮込んだ、人気文士の随筆集」。ああ、モリミー!! 馬鹿馬鹿しいことを格調高そうに書かせたら誰もかなわないんじゃないか。読み進めるのがもったいなくて、数行読んでは背表紙をなでさすり、また数行読んでは裏表紙をじっくり眺め、さらに数行読んでは表紙のにおいを嗅ぎ、とそんなことばかりしている(この表紙からは竹の香りがするともっぱらの噂なのだ)。いかんいかん、きれいな白い表紙カバーが薄汚れてしまう。

虚構と現実の境目が(意識的あるいは無意識的に)曖昧であることの面白さに惹かれる。虚構と現実の区別がつかない危ない人、という意味ではもちろんなくて、自由自在に思考を行き来させて気持ちよく妄想世界に遊んでいられるのが理想的(そんな理想を掲げてどうするのやら)。想像力の先にある場所だけは、誰が何と言おうと絶対的に自由な世界であるはずで、ここで思いっきり遊ぶ術を知っているのって素晴らしいと思う。目に見えてる世界だけがすべてじゃない、って信じられることは、生きていく余裕のためにも必要だと思うんだけど。

って、ただの現実逃避? まあ基本的に、現実逃避上等!だけどな。