桜庭一樹『東京ディストピア日記』を読む。
桜庭さんが私的に書いていた日記を加筆編集して本の体裁にしたもの。桜庭さんが経験して感じた、コロナ禍の今のリアルが書かれている。おもしろいというよりは、淡々とした記録集のよう。読みながら、自分自身の記憶や思いを振り返る。
今になってみれば、2020年2月ごろのコロナ発生当初はまだ危機感が少なくてのんびりしたものだった。みんなそうだった。変わっていく日常が現実のこととして信じられず、世界のありようがじわじわと動いていくのを半ばひとごとのように捉えていたあの時期。マスク不足とかトイレットペーパー買い占めとか一斉休校とか自粛警察とか9月入学議論とか、いろいろあったよな。あれから1年4ヶ月、その間のできごとを既に忘れてしまっている。漠然と抱いていた不安や緊張感も薄れてきて、コロナありきの今に慣れてしまったというか気が緩んでいるというか。
桜庭さんは、コロナによって浮き彫りになったさまざまなレベルの「分断」に思いを馳せている。その中で自分はどうあるべきなのかを自問し続ける。この本を読んでも救いはなくて、鬱々とした気持ちになってしまった。現在進行系で続く手探りの世の中をどうにか生きていかなくてはならないという事実、まさにこれはディストピアだな。
作家がコロナについて真正面から書いた文章をまとめて読むのは、これが初めてかも。何を感じ、どう対応するのか、作品にどんな影響や反映があるのか、いろいろな作家のケースを知りたくなった。
同時に、今後はもう、あらゆる作家のどの文章も作品も「コロナ以後」のものなのだということに愕然とする。なんというか、取り返しのつかない凄まじい前提を背負わされている感じ。ドラマでも小説でも漫画でも、マスクをしてなかったり近距離で会話したり大人数で食事したり、そんなシーンはもはや全部ファンタジーに見えてしまうもんな。現実世界でコロナをなかったことにはできないわけで、やっぱりこれ、ディストピアだわ。