吉村昭『羆嵐(くまあらし)』
先に読んだ黒部ダム建設の記録小説『高熱隧道』がおもしろかったので、吉村昭さん第二弾。北海道のある村で実際に起きた、ヒグマが民家を襲って人間を殺害したという三毛別羆事件に取材した小説。
まず、ヒグマが人を食べるという事件のインパクトが凄い。それも、はじめに女性を襲って肉を食べたヒグマはその味を覚え、それ以降、女性ばかりを狙うようになったというから恐ろしい。民家に押し入ったあと、女性が寝ていた布団や女性の衣類、女性が使っていた湯たんぽに執着したという描写とか…。
ヒグマの殺戮力はとにかく強烈。村人たちはヒグマに挑もうとするのだが、恐怖心からパニックに陥り冷静に対処できる状況ではなくなる。村の外に助けを求め、別の村人や警察、軍が出動するのだが、精度の高い武器や組織力を持っているはずの彼らも、ヒグマを前にしてやはりパニック状態に。さらにグループごとの確執や保身もからまって、今ここにある戦いは、自然VS人間であり人間VS人間でもある感。
どうにも進展しないヒグマ退治の救世主となったのは、熊撃ちの名手として知られる銀四郎という男。普段は素行が悪すぎて周囲から忌み嫌われている。しかしヒグマ退治に関しては、ただ銀四郎だけが冷静沈着。自分も含めて人間の力を決して過信しない。ヒグマや自然のありようをじっと観察し、正しく恐れ、今から撃とうとする相手に対して敬意すら持っているように見えるのだった。
簡潔かつ余計な感情が入らない引き締まった文章で、テンポの良さやリアリティの迫り具合がすばらしい。どこからか、ひたひたと近づいてくるヒグマの息遣い。薄暗い家の中から聞こえてくる、人骨を噛み砕いているらしい音。お互いの思惑を探り合いながらヒグマ退治に臨む人々が、いざヒグマを前にして狂乱状態になるさま。村人たちが、銀四郎の手腕を頼みにしながらも、銀四郎の乱暴な人間性を下に見ていること。全編にわたって、情景や人々の心の動きがありありと見えるようだった。怖いのとおもしろいのとで一気読み。さて、吉村昭の著作、次は何を読んだらいいだろうか。