探検家・高橋大輔さんの『剱岳 線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む』を読んだ。
記録に残る剱岳の初登頂は明治40年、測量技術者の柴崎芳太郎によるもの。このとき柴崎は山頂でとんでもないものを見つける。それは、古代に造られたものと思われる錫杖と鉄剣であった。誰も登ったことがないはずの山頂に残されていた人工物。自分より前に剱岳に登った人がいた、それも数百年も前に! というのが実際にあった話。相当にミステリアスでわくわくするエピソードだ。これをもとに創作された小説が新田次郎の『剱岳 点の記』。ちなみに杖と剣は現存しており博物館で見ることができる。
ではいったい、この杖と剣は誰がいつ残したのか? 何のために? その人物はどのルートで剱岳に登ったのか? それを史料と探検で検証していくのが高橋さんの作品。遺物の分析や剱岳の現地調査によって詰めていくのかと思いきや高橋さんの捜索はそこにとどまらず、推理の手がかりは奈良・平安時代の山岳信仰にまでさかのぼっていく。その頃に造られたとされるさまざまな仏像、山への信仰を詠んだ和歌の数々、山伏の存在。それらにヒントを求めてひとつずつ可能性を探っていく過程が興味深かった。
問題提起も展開も興味をひかれるし、読み物としてとても面白い。だけど説得力という点では物足りない気持ちになる部分がちょいちょいあった。なにしろ数百年前の話だし検討材料が限られているから仕方ないんだけど。絶対的な物的証拠はないけれど状況的におそらくこうだろうと思う、というような推論が多くて、無責任な読者としては「いやいや、本当にそうなのか?」と思ってしまうのだった。たとえば剱岳山頂をめざす古道の途上、過去に山伏がここを通ったのではないかと推測しながら登る場面。高橋さんは「ここが修行場だと書かれた資料はないが、もし私が山伏なら間違いなくここで修行をするだろう」っていうのだけど、いやいや、「もし私が山伏なら」っていう仮定にリアリティがなさすぎるし、その前提で「間違いなく修行する」っていわれても、簡単に納得はできないなーとか。
というようにツッコミを入れつつも面白く読んだ。数年前、剱岳に登るつもりで登山地図でルート検討したり登山道の予習をしたりしたことがあるので現地の様子をイメージしやすかったのもある(そのときは悪天候のため残念ながら登山断念。剱岳にはまだ登れていない)。
▼新田次郎の小説もおもしろい。登頂を前にした柴崎が、「登山のお守りとして両親の名前を書いた紙を持っていくから袋を縫ってくれ」 って妻に頼む鈍感さにはイラッとするけど。まず一番に書くべきは、妻の名前でしょうが!