1月末、芦屋で開かれた作家・川上未映子さんと歌人・穂村弘さんの講演会に行った。なんという贅沢なキャスティング。凄まじい。もう、神がかってる。
表現者として、いまもっとも注目と憧れと畏れを抱いている二人であり、この二人が言葉について語ったらいったいどんな刺激的なことになるんだろうと夢想していた組み合わせだったので。講演タイトルは「コトバの可能性と不可能性 私たちの場合」。
壇上の川上さんは、ものすごく美人で可愛くて引きつけられた。やっぱりおかっぱはいいなと再確認。穂村さんは、想像よりも背が高くてすらりとした体型だった。かっこよくてびっくりした。(失礼?)
話の中で、川上さんの作品(対談集)のタイトルに「六つの星星」というのがあり「むっつのほしほし」と読ませているのだけれど、その読みは「ほしぼし」じゃダメで、タイトルの字面も「星々」じゃダメでというあたり、面白かったな。あと、「詩を作るときは言葉がどんどん降りてくるのを書きとめている状態で、それはもうただ感覚的な快楽で」というところも。
穂村さんの話では、ある寒い雪の日にカフェにいたら、一人で入ってきた女性客が店員さんに向かって「しかしビール」ってオーダーしたという、その「しかし」についての考察とか面白かった。それから、穂村さんが川上さんを、「君はアドリブもきくし、言語表現まで戦線を後退させなくても現実世界のなかで現実に対処できるよね」と言ったこと。穂村さん自身はそれができないから、「言語表現まで戦線を下げて、家に帰ってからやり返そうとしてる」んだと。その言い回しがいいなと思った。
いちばん印象的だったのは、穂村さんによる短歌の解釈のくだり。新聞に投稿された短歌のいくつかを「この歌はこういう読み方ができて、こういう理由で巧みである」というように説明してくれたのだが、その読みの深さと、説明の明快さ、説明に選ぶ言葉の正確さに、目が開かれるというか心を奪われるというか、ああもうぜったい穂村さんにはかなわないって思ってドキドキした(かなわない、っていうのも変だけど)。短歌に正解なんかないかもしれないし、作者本人ですら意識してないこともあるだろうし、でも、ある事象を「これはこういうことです」って説明する、その事象のとらえ方とか言葉選びのセンスとか、穂村さんは本当に凄い。それってつまり、穂村さんの短歌にも言えることなんだけど。その説明や短歌を通じて世界がすこし変わって見える気がするくらいで、それは驚異であり快楽であり、もうずっと身を委ねていたい感じ。本当に本当に心地よいものなので。
講演会の後、それぞれの著作にサインを書いてもらった。川上さんの「世界クッキー」、穂村さんの「絶叫委員会」。たからもの。