旅と日常のあいだ

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優しい恋人か才能のある恋人か。『たましいのふたりごと』

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『たましいのふたりごと』 穂村弘川上未映子筑摩書房

穂村さんと川上さんという大好きな著者二人の対談集、表紙には心そそられるキーワードが散りばめられており、これが面白くないはずがない!と勢い込んで読み始めたのだが、なんとも残念なことに、全体的に面白くなかった。後半は読み続けるのがつらかったほどだ。信じられない。

語るテーマが多すぎて、ひとつひとつにじっくり踏み込めていないことが物足りない。二人が会話しているところに、急に「編集部」が乱入してきて訳知り顔なコメントをするのもにもイライラ。あの穂村さんとあの川上さんが一冊まるごとかけてコレなのか!っていう、もう少しやりようがあったでしょうよっていう、これはもうほとんど怒りですな、筑摩書房に対する。

対談のテーマであるキーワードの選定は、けっこう好きな感じだったんだけどなあ。
・自己愛
・スノードーム
・死
・午後四時
・泣きたい気持ち
・牛丼
・便箋
・おめかし
・初体験
・物欲   ・・・・・・などなど。

ひとつ、これは深く考えてみたいなと思った部分があって、「ホスピタリティ」というキーワードにまつわるこんな話。

穂村さんの、「恋愛において相手に望むものは、自分に対するホスピタリティか唯一無二の才能か」という問いに対して、川上さんは「才能よりホスピタリティ」だと言い切る。恋人に唯一無二の才能があることと自分自身には何の関係もない。サッカーがうまい人とつきあっても、自分がサッカー選手になれるわけではない。それならば自分に向けられるホスピタリティや優しさの方が重要だと。

そう言われてみればそうだなあとも思うんだけど、私はこの問いを投げかけられたら、まずは「唯一無二の才能」だと即答する。自分には届かない、かなえられないようなことを実現してみせるような人へのあこがれなのだろうか。尊敬とか畏怖が、恋のときめきに転化されるのかな?

しかし、だ。才能の発露がピアノとかサッカーとか将棋とか、自分の日常とは別世界のジャンルであればその天才ぶりにただただ気持ちよく圧倒されていられるんだけど、ものすごく記憶力がいいとか料理がうまいとかいう日常生活と地続きのジャンルでの優位性を見せられたらどうだろう。場合によっては自分が劣等感を抱いてしまいそうだ。あの人はこんなにうまくできるのに、私にはできないっていう。それはイヤだ。「努力次第でなんとかなるかもしれない」レベルの才能ではなく、やっぱり、もう絶対的に唯一無二!っていう突き抜けた天才じゃないと。

では、顔が唯一無二のカッコよさっていうのはどうだろう。それだってまあ、ある意味の才能だよね。相手のカッコよさにひれ伏してしまうのか(そしてそれが自分の快感になるのか)、その隣にいる自分を誇らしく感じるのか、はたまた相対的に見てカッコよくない自分自身をみじめに感じてしまうのか。その気分を分けるカッコよさのボーダーラインってどの辺なんだろうな。本から顔を上げ、コーヒー片手にそんなことを考える時間は楽しかった。そこだけは楽しかった。