旅と日常のあいだ

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子育ての尊さに胸がいっぱいになる。滝口悠生『たのしい保育園』

とても素晴らしい小説だった。いまここに普通にある日常を徹底的に冷静な目で見つめて、これでもかという細かく正確なディテールで描写する筆致に圧倒された。小説家ってすごい、というか滝口さんの観察眼と筆力がすさまじい。

文筆業の父親が3歳の子ども「ももちゃん」と過ごす日々を書いたものなのだけど、なんといっても子どもに対するお父さんの敬意と愛情の深さに胸を打たれる。大人の事情や都合で子ども扱いするのではなく、ひとりの人として接する態度。幼児の思いや行動を、「たぶんこういうことだろう」と大人の解釈で片づけるのではなく、子どもにとってまだ体系づけられていない世界、言語化できない世界であるという前提で、想像したり追体験しようとする姿勢。そこに大きな慈しみや尊さを感じて、子育てというのはなんと奇跡的でかけがえのない体験の連続なのだろうと思った。自分も今まさに子育て中ではあるが、ももちゃんのお父さんの視点と思考によって、改めて客観的に。

なによりも、著者の視線の解像度の高さと、ひとつひとつの事象を丹念にすくって言語化する緻密さに引き込まれる。私も3歳児を育てたはずだけど、子どもの言動をこんなふうに深層まで想像する余裕も力もなかったな…と落ち込むほど。もっと子どもの立場にたって、心の奥底まで寄り添って世界を見ることができたんじゃないかという思いがわきあがる。反省というより、もう二度と戻らない時間へのもったいなさみたいな気持ち。

子どもが成長し、言葉や概念を獲得し、文化や社会性を身につけていく過程で失われていくものがある。端的に言うと、軽くて頼りない体とか、幼くてかわいい言い間違いとか、無邪気さとか。でも、もう戻れない過去を寂しがるのではなく今ここにある子どもを大切にすればいいんだよな。作中に書かれているとおり「そうすればきっと思い出せる。その思い出せなさに向かい合うことができる。」思い出せなさに向かい合う、っていいな。

読みながら、子どもや自分や他者をめぐる実にいろいろな思いが去来した。はっとする文章やエピソードに手をとめたり思いを深めたり。今後もときどき読み返して、そのとき胸に感じる気持ちをそのままに受け止めたい、そんなふうに思える小説だった。

たのしい保育園

たのしい保育園

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