旅と日常のあいだ

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『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』感想。 重厚な言語ファンタジーであり、歴史改変SFであり、壮大なイギリス偽史

R・F・クァン 『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』上下を読んだ。上下巻あわせて800ページ以上。持ち歩くバッグがずっしりしてた。

時は19世紀、魔法が存在するイギリスが舞台。杖や呪文ではなく、この世界における魔法の原動力は『翻訳』。異なる言語を完全に同じ意味で翻訳することはできない、ふたつの間にはどうしてもニュアンスや印象の違いが生じてしまう、そのズレを物理的な力に変えるという術。これが薬になったり交通インフラを整えたりして、イギリスの経済を支えているという設定。この発想のユニークさ、作者は天才か。翻訳や言語が一大テーマなので、ページのどこを開いても言語分野の知的刺激に満ちていて非常に興味深かった。

で、翻訳のスペシャリスト育成のために言語センスの優秀な子どもたちが王立翻訳研究所=通称「バベル」に集められてくる。主人公は遠く中国からやってきた少年ロビン。同期の4人と共感しあって友情を深めていく過程は学園青春ものの明るさがあって読んでいて楽しい。が、楽しい時は長くは続かないのだよね。4人はそれぞれある種のマイノリティであり、不当な差別に直面している。そしてあるきっかけから、イギリスの世界的な繁栄は貧困地域からの搾取で成り立っていること、その搾取にバベルがからんでいるらしいことに気づき…。

スケールは一気に広がり、人種差別、性差別、植民地、覇権争いといった問題を散りばめながら進行していく。魔法学園ファンタジーのふたを開けてみたら、思いっきり現代社会に通じるリアリティが満載で読みごたえじゅうぶんだった。奴隷制度やアヘン戦争など実際の史実をなぞっており、足りぬ知識を埋めるべく途中で何度ウィキペディアを開いたことか。

史実を交えながらも、翻訳魔法ありきで存在しているイギリスという、あったかもしれないもう一つの姿というか、壮大な並行世界というか、それをありありと描いているところが魅力的。イギリスの破滅は、世界の終わりなのか始まりなのか。最後まで読んでから振り返ると、バベル入学時に出会ったばかりの4人が、希望に満ちてまぶしくて愛おしい。