旅と日常のあいだ

石川県発、近場の寄り道から海外旅行まで。見たもの、食べたもの、面白いことの共有。


松家仁之『火山のふもとで』感想。文章を味わい、余韻に浸る。

「夏の家」では、先生がいちばんの早起きだった――。
物語は、1982年、浅間山のふもとの山荘で始まる。「ぼく」が入所した村井設計事務所は、夏のあいだだけ、軽井沢の別荘地に事務所機能を移転するのが慣わしだった。所長は質実で美しい建物を生みだしつづけてきた寡黙な老建築家。
秋に控えた「国立現代図書館」設計コンペに向けて、所員たちの仕事は佳境を迎え、その一方、先生の姪と「ぼく」とのひそやかな恋がただ一度の夏に刻まれてゆく。

静かで淡々とした筆致、ゆったりとした時間の流れ、そこに醸し出される雰囲気、建築物の精巧さや美しさ、そういったものが紙面のすみずみまでいきわたっている小説だった。読んでいて心地よく、この読書の時間がずっと終わらなければいいのに…と思った(『水車小屋のネネ』を読んでいるときにも同じように感じた)。登場人物みんながちゃんと息づいていて、それぞれの考えがあり背景がありスタイルがあって、人生があるのだという説得力。

著者の松家さんはこれがデビュー長編で、書いたのは50歳過ぎ。文章も構成もうますぎて、これがデビュー作だとはなんという才能…!と衝撃を受けたのだけど、経歴を調べたら新潮社のベテラン編集者で、新潮クレスト・ブックスを創刊し「芸術新潮」の編集長をやっていた人だった。はあぁ、納得。美意識とか洞察力とか言語センスが、常人のそれじゃないもの。

ストーリーとしては、終盤で先生の身にある変化が起こる展開に、「えっ?これはちょっと性急かつ安易では…」と思ったりもしたけど。全編を通して、夏の軽井沢の森の空気や香りを存分に味わえた。ちょこちょこ出てくる料理がまたおいしそうなこと!

静謐で丁寧で思索に満ちた、好きなテイストの作品(作家)に出会えてうれしい。