またいいものを読んだ。乗代雄介にはずれなし。
高校生の、修学旅行のある1日の冒険物語。その日を思い出して主人公本人が記録を書き残しているという体裁。自分が見たものや感じたことを、非常に意識的に自覚的に文章にしているという立場がはっきりとした前提になっていて、これぞ乗代雄介というスタイルだった。前に読んだ『旅する練習』でも強く感じたこと。←これもめちゃいい小説。
文中に、たとえば「このとき僕はドアをよく観察した、なぜならそれをあとで文章に書くために」みたいな表現が出てくるのがおもしろい。冷静。出来事が起こり、それをあとで言語化するつもりの自分がいて、実際にあとになってそのときを思い返しながらPCで文章を入力する。入力しながら、入力している現在の僕は「ここは実は違う言い回しだった」とか、「もっといろんなことが起こったけど省略して書いている」とか言っている。
とにかくまあ出来事を詳細に再体験しつつなぞりつつ、取捨選択して文字化していく様子や過程がこれまた超詳細に書かれていて、それはもうしつこいくらい詳細。しかしその独特のテンポや緻密さが、だんだんくせになってくる。場面によっては、細かすぎてもういい加減にしてくれ~と思うくらいで、たとえば歯磨き中の友人の口に泡が溜まってるとか、それを洗面台に吐き出しただの、その泡の大きさがどうだの、きっと友人の家族も同じようなうがいの仕方をするんだろうだの、それを延々と何行にもわたって書いてるところとか。それ、話の本筋に関係ある?って言いたくもなるんだけど、重要なのは友人の歯磨きそのものじゃなくて、友人の歯磨きを見ながらそういうことを考えていた僕自身、これはそういう僕の手による記録であるということなんだろな。
もともと仲良しなわけではない男女7人班が、修学旅行中に秘密を共有する。彼らの心の動きや関係性、互いに知らなかったことを知り見えてなかったものが見えるその変化がみずみずしくてまぶしい。めちゃくちゃ端的に一言でいうと、青春のまぶしさ。そのまぶしさを、高校生からすでにうんと遠くなった今の私が、読書によって味わえるというのが小説の素晴らしさだなと、しみじみ思った。いいわ~、乗代雄介。