旅と日常のあいだ

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貪欲な食欲に飲み込まれる。柚木麻子『BUTTER』感想

 

木嶋佳苗事件から8年。獄中から溶け出す女の欲望が、すべてを搦め捕っていく――。男たちから次々に金を奪った末、三件の殺害容疑で逮捕された女、梶井真奈子。世間を賑わせたのは、彼女の決して若くも美しくもない容姿だった。週刊誌で働く30代の女性記者・里佳は、梶井への取材を重ねるうち、欲望に忠実な彼女の言動に振り回されるようになっていく。濃厚なコクと鮮烈な舌触りで著者の新境地を開く、圧倒的長編小説。

まったく、若さとかスタイルとか美醜とか料理上手とか優しさとか、世間が女性に求めるもののなんと多いことか。うんざりする。そして、自分の本意ではないのにその強制的な風潮にさからえず「女性らしく」振る舞おうと頑張ることのしんどさ。このしんどさは、今生きてる誰もが多かれ少なかれ感じていることだと思う。自分は本当はどんな姿でいたいのか、どんな選択をしたいのかが後回しになって、人からどう見られたいのか、どう振る舞えば上手く損なく生きられるのかを優先してしまいがち。そうさせられてしまう社会環境。だからこそ、その枠組みにおさまらない人に対して、不理解と羨ましさと妬みが混ざった感情を持ってしまうんだろう。男性に次々と貢がせては殺したとされる殺人容疑者が、若くも美しくもない太った女性だったなんて、その標的として実にわかりやすいもんね。

主人公の里佳は、逮捕された梶井真奈子を取材するうち、梶井をより深く理解するために梶井の作る料理や食事の好みをトレースするようになる。次第に梶井のペースに引き込まれていき、他者から見ると梶井にのめりこんでいるような異常事態に。殺人容疑のかかった相手に対してそんなことあるわけないと思う一方、梶井のあまりにも自由でまっすぐな思考に接しているとそれまでの常識や理性が揺らいでしまうこともじゅうぶんあり得そうに思えて怖い。梶井の態度にはそれだけの説得力と吸引力がある。

ざっくりいうと、自分の居場所探しと友情の物語。梶井が望んでも得られなかったものは何なのか、そこに迫る過程で、里佳は自分自身の内面を見つめて未来を選んでいく。

全体を通して料理や食事が重要な役割をもっていて、描写の細かさ、鮮明さが秀逸。特にバターに関しては、もう目の前に色も形も香りも感じられそうなほどのリアリティ。読者の7割くらいは口の中がじゅるりとなって、バターを買いに走るかバターましましの料理を食べたくなるんじゃないか。

私は数年ぶりにバター醤油ごはんを食べた。作中に書いてあるとおりに味わいたくて。

文章も内容も読後感も、いろんな意味でこってりと濃い小説だった。ずっしりきてる。