凪良ゆう『流浪の月』を読んだ。2020年本屋大賞受賞作。
読んでいる間ずっと夢中になり続けるようないい時間だった。おもしろくてやめられず没頭しながらも、ふとページから顔を上げて思考を立ち止まらせて、自分のことや世間のことをじっくりと考えたくなる内容。物語の終盤に展開が加速していくところ、そこで明かされる秘密によってこれまでの物語の見え方が変わるところも好きだった。
表紙の折返しに書かれたあらすじの文章(の一部)はこう。
「あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人間を巻き込みながら疾走を始める。」
これだけでは具体的にどういうことなのかさっぱりわからないけど、本編を読んだあとには、これ以上的確な紹介文はないなと思う。
端的に言うと、9歳の少女が19歳の青年に連れ去られて自宅に2ヶ月間監禁された事件と、十数年後の二人の再会が描かれている。事件に対する世間の見方は「ゆがんだ青年が抵抗できない女児を無理やりさらって監禁し自分の欲望を満たした」であり、「被害女児がかわいそう」なのだけど、事実はそうではなかった。少女は自分で望んで青年について行ったのであり、青年は常に紳士的な態度であり、少女が嫌な思いをすることはひとつもなく、それどころか日常生活で悲惨な目にあっていた少女にとって青年の存在は救いであり、一緒に過ごした2ヶ月間はそこから逃げ出すことのできる安穏で幸せな日々だった。でも、世間はそうはとらえない。まあそうだよね。そして世間一般の解釈に対してそれは違う!と声を大にして正すことは、「かわいそうな女の子」である9才の少女にはあまりにも難しいことなのだった。
そして十数年後、少女から大人になった彼女は思わぬかたちで彼に再会。自ら望んで彼との距離を縮めていくのだが、これまた周囲が黙っちゃいない。過去の事件を蒸し返して二人を破滅に追い込もうとする人がおり、再会の「異常性」をおもしろおかしく取り上げるマスコミがある。またしても、事実はおきざり。
本当のところを知らないのに、憶測や定型や野次馬根性によって事実をゆがめ、それがさも事実であるかのように広めていく、そんな世間のありようが実にネチネチと恐ろしく書かれていて実に気分が悪くなった。これは小説の中だけのことじゃない、現実社会はまさに今そんなのばっかり。自分ひとりだけが知っている真実よりも、その他大勢がおもしろおかしく叫ぶ誇張や誤情報のほうが拡散して盛り上がって力を増す、そういう気持ち悪いことがしょっちゅう起こっている。本当に、冷静に考えて気持ち悪いしおかしい。でもあまりにもよくあることだから「またか」と思っていちいち驚きもしない。みんなしてどこかの感覚が麻痺して他人事になっている、この異常さをどうするのよ、と思う。
そんな気持ち悪さや末恐ろしさ、勘違いの善意をもって近づいてくる人への鬱陶しさや悲しみ、理解されないことのあきらめの気分が、読みながらずっとモヤモヤとある。ありながらも、物語のラストには希望が見えて安心した。世間のくだらないルールや思い込みのなかにあっても、自分の信じるものを信じ、自分の思いを真実として生きていくことはできるという希望。
▼設定やテーマに共通点があるなと思いだした小説が『ずっとお城で暮らしてる』。世間に理解されない異端の姉妹たちの物語。こちらもおすすめ。
▼2004年に実際にあった少女連れ去り事件を追ったノンフィクション『誘拐逃避行』の読書記録はこちら。男性が少女を誘拐した事件だが、主導権を握っていたのは少女だったという。事実は小説より奇なり。
今週のお題「読書感想文」