旅と日常のあいだ

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夫よ、すまぬ。押入れの断捨離の前に、自分の記憶を整理すべきだった。

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ふと図書館で借りて、断捨離のやましたひでこさんの本を読む。『定年後の断捨離』。定年の年齢はまだ先だけれども。

何がそんなに私の琴線に触れたのか、読んでいる最中から、どんどん捨てて身軽になりたい!という気持ちがふくれあがる。「いま見える範囲にほこりをかぶったインテリア小物はありませんか」という文章を見た直後、横にあった棚に目をやると、実際にほこりをかぶったガラスの飾り物があった。ただ何となくそこにあるだけで、見ると癒されるとか大事にしてるとはまったくいえない。数日おきに「あー、ほこりがたまってるなあ、掃除しないと」というときだけ意識にのぼる状態なので手放すことにした。思い出がないわけじゃない(だから十何年間も持ち続けてきたのだ)けど、「モノを捨てても思い出は残る」というようなことも書かれていて、それもそうだなと納得したので。

それから、押入れを圧迫している空き箱はありませんか、という文章。著者がこれまでに見てきたケースとして、どんどん捨てたい妻と、何かと理由をつけて取っておきたがる夫、という図式がよくあるらしい。電化製品の箱なんかを、修理に出すときに必要(←保証期間はとっくに過ぎてる)・オークションとかで売るときに必要(←買う人なんていないよ)・引っ越す際に必要(←そんな予定はない)ということで大事にため込むタイプ。

あ~、あるある、わかりすぎる! うちの押入れにも空き箱が多い。私は箱不要派なので、ほとんどが夫のもの。決まったシーズンしか使わないものを、シーズン外は箱に入れて保管しておくというのは理解できるし許容できる。が、それ以外で箱をとっておく理由がさっぱりわからない。「置く場所があるんだから置いといたっていい」っていうのは違うわ、いらないものを置いておくのはむしろ負債、それを置くことによって別のプラスが生まれる余地を消しているわけだからな。

ということを夫に話した。いきなり「置いとく意味がわかんないから捨てて」などと言ったりはしない。ふんわりと、「空き箱を捨てたくないタイプの人もいるよね~」って。そしたらなんということでしょう、夫は「あ~、わかる。うちのお父さんだな」と返してきたので私はびっくりした。遺伝だったのか!という驚きではなく、自分のことだと自覚してないことへの驚き。

そのあと、ひとまず私主導で捨てるものの選別をすることになった。おっしゃ、どんどん処分してやろうとはりきって、一番手前にあったデジカメの箱を手に取る。古い箱だなあ、この中に入っていたデジカメを使ってるところなんてもうずっと見たことないわ。……いや、待て、いやいやいや。あれ、このデジカメ、私のだな。本体を最後に使ったのいつだっけ、ていうか本体はどこにあるんだっけ。箱の中にはケーブル(使用した形跡ゼロ)と説明書。……。よし、捨てる。

その奥にあったのはネット注文したノートパソコンの箱。受取人である夫の名の宛先ラベルが貼られている。これも絶対いらんでしょ、箱にしまうことなんてないんだから押入れに入れずに即捨ててよ~と思いながら中をあらためる。納品書が入っていた。仕様を見たところ、えっ、これは。……私のパソコンだった。夫が代理購入したものだった。なぜ私は箱を置いておこうと思ったのだろう。いやあ、不思議だね!って笑ってごまかしつつ箱をたたむ。何もごまかせてない気がするけど。

まあそんな感じで、年末に向け大掃除もかねてということで、断捨離というか片づけを進行させていくつもり。とにかく捨てたいというより、モノがあることでのストレスをできるだけ減らす方向で。

58歳から 日々を大切に小さく暮らす

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