旅と日常のあいだ

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親知らず抜歯の2本勝負

先日、親知らずを抜いた。現在虫歯というわけではなかったが、歯医者が言うには「このままおいとくと将来的に虫歯になるリスクがあります&親知らずを生やしておくことのメリットは何もありません」と。「問題が起こってからでもいいですけれど、どうしますか、今もう抜いておきますか」と聞かれ、メリットがないなら今すぐ抜いてしまって構わんよ、ってことで、右の上下2本を抜くことにしたのだった。

ただし、下の親知らずは横向きの厄介な生え方をしているようだった。上にまっすぐ抜けないので、歯茎を切って歯を削って小さくしたのちに取り出して傷口を縫い合わせてうんぬんという、聞いてるだけで奥歯のあたりがムズムズしてくる内容であった。「ちょっと大変な処置なので、とりあえず1本やってみて、いけそうならもう1本もいきますね」と言われて麻酔を打たれる。「いけそうならもう1本」って、ずいぶんノリが軽いんじゃないのかと思ったが、ここまで数回の通院により私は先生の腕を信じているので、すべてをゆだねることにした。というか、処置台に寝かされ顔にタオルを掛けられ口を開けさせられ、麻酔を打たれてガリガリやられている状態では、すべてをゆだねるしかないのであった。

ところで歯医者での悩みといえば、処置中の身じろぎ問題。寝かされているあいだ、私は両手をおへそのあたりで軽く組んでいる。意識はなんとなく口のあたりにあって、「うわっ大きい音がした」とか「今ものすごく変な顔になってるんだろうな」とか「助手のかたー、口に溜まってる唾液を早く吸い出してください!」とか思ってるんだけど、ふとしたときに意識が手にいくことがあり、右手と左手の上下を組み替えたい思いにとらわれる。一度そうなるともうダメで、ああっ、今のこの手の位置はなんだか微妙だ、なおしたい、上下を逆にしたほうがしっくりくるのに!と思いつめる。サッと組み替えようかな。でも助手にバレそうだな。

私が何をためらっているかというと、手を動かすことによって「痛いです」のサインに見えてしまうんじゃないか、ってこと。麻酔を打ったあと、助手の方が「痛みを感じたら手をあげてくださいね、麻酔を足しますね」と言ってくれるんだけど、なぜかこう、「痛みに弱い自分」を露呈するのが恥ずかしいというか、一度の麻酔で耐え抜きたいっていうか、そんな気持ちがある。いったい何に対する強がりなのやら。ともかく、痛がってると思われたくないという前提があるので、痛みとは関係のない手の動きを見られたうえに「痛いですか?」なんて聞かれたら敗北なのである。

あー手を動かしたい、でも痛がってると思われたらしゃくなんだよなあとごちゃごちゃ考えていたら、ガリガリギュンギュンやってた右下奥歯のあたりを問答無用、即断即決、驚天動地の痛みが襲った。さっきまでのごちゃごちゃな思考は一気に吹き飛んだ。「痛いです」の合図に手を上げるとかいう余裕もなく、「ぎゃひん!!!」みたいな哀れな声を発してしまった。「すみません、痛かったですね」と先生。痛かったよ、強がってる暇もなかったよ、でも先生のことは信じてる……。信じてるけど、痛かったぞこのやろう! 不意の痛みにドキドキしている私の隙をついて、先生は言った。「1本終わりました、いけそうなのでもう1本もいきます!」 えっ、この流れからもう1本っすか? 私いま結構痛がったよね? そこは特に気にせずいくのね、もう1本いっちゃうのね?

かくして、「歯の治療中の患者における主体性のありかおよび無力感」について考えているうちに上下2本の処置は終了(上の歯は拍子抜けするくらいあっという間だった)。その後、外から見てわかるほどに顔が腫れ、5日ほどで腫れは引き、引いたはずなんだけど顔が丸い気がするのは、もともと丸顔だったのか、腫れを取り込んだまま顔の輪郭が再構成されたのか(そんなことあるか?)。いずれにせよ、もう親知らずに悩まされることはない人生である。次の検診まで、新たな虫歯ができませんように。