2014年8月ある日の午後、私はスーツケースを引いて成田空港に向かっていた。今日は近くのビジネスホテルで一泊し、明朝、ターミナル1から出国である。あてがわれた部屋はやたらに広く、ベッドとは別にソファがありローテーブルがあり、デスクとチェアがあり、さらには部屋とバスルームを隔てる謎の空間にはカウンターまであるのだった。
この広い部屋にひとり。明日から海外だっていうのにひとり。 本当は友人とふたりで前泊するはずだったのである。ところが。
何をどう間違えたのか、遠方からやってくる友人Nから「前日のうちにはどうやっても成田に着けない。羽田までしか行けない」との連絡。そんなわけで羽田と成田でそれぞれの夜を過ごし、出発当日の朝に成田のターミナルで集合とあいなった。旅行前に、一緒にガイドブックを開いてあれこれ計画しあうなどの時間、0秒。
翌朝、無事にNと合流。搭乗手続きを済ませ、出発までは免税店をぶらぶらして過ごす。ちょっと見るだけのつもりで入った化粧品店にて、なんとなく口紅を手に取ったのが運の尽き。 すかさず左隣にスッと店員さんが近づいて、「濃いめの色をお探しですかぁ?」の声がかかった。店員さんは私が手にしている真っ赤な口紅と私の顔を見比べ、「うーん、これくらいはっきりした色の口紅ですと、お顔全体しっかりメイクをしてあげないとバランスがとりにくいですよね」と述べた。
確かに今、まったくと言っていいほどメイクしてない。だって今から10数時間のフライトよ? お肌のことを考えたらメイクはいらんでしょ。
しかし美容部員さん、押しが強かった。絶妙な間合いでぐいぐいと距離を詰めてきて、「そろそろ時間なのでもう行きます」の一言を言わせてくれない。あれよあれよという間にファンデーションをつけられ、ビシッとアイラインを引かれ、深紅のリップをキュッと塗られ。手渡された鏡に映っていたのは、通常の300%くらいの濃さと華やかさを宿した私の顔であった。もっともメイクの必要がないタイミングで、もっともゴージャスなメイク。たぶんこのときが、一週間の旅の中でいちばんメイクしていたな……。
さて、真っ赤なルージュをまとってこれより出発。目的地はスペイン、バルセロナ。
もちろんリカちゃんも登場しますよ