JRの青春18きっぷで京都へ行く。片道5時間の鈍行列車に揺られて着いた先は春の盛りも盛り、桜も満開なら観光客も超満員。いたるところ花と人で埋め尽くされており、両方に酔ってすっかり疲れてしまった。前はそんなことなかったのに何これ、まさか、年をとったってことなのか?
大阪に住む友人Mちゃんと京都駅で合流し、京都の定番桜名所を回る。それはもう、地下鉄とバスを駆使して足が棒になるまで歩きまくる。その間じゅうずっと、妄想と煩悩にまみれた会話を繰り広げてた。
しだれ桜が有名な醍醐寺では「ダンディーな男」の定義を考えつつ「坊さん萌え」ってどうなの?という議論をし、
山門がかっこいい南禅寺では「結局私が好きなのは駅員なのか、それとも駅員の制服なのか」という難問に向き合い、
夜桜のメッカ円山公園では浮かれ騒ぐ大学生たちの姿に失った若さへの苦渋と羨望が入り混じり(遠い目)、
平安神宮では2組の結婚式を目撃して「幸せの絶頂って長くは続かないものよ、っていうか渦中にあると気づかないよね」と悟ったようなことをうそぶき、
水面に映る花の影がきれいな哲学の道では「今さらだけど眼鏡男子が気になる気になる気になる」と無意味に悶える。
気が付いたら私たち、ちっとも桜を見てないっていうか、桜だらけでちょっともう飽きてきたよねとか言いだす始末。会話のはしばしには夢見る乙女っぷりとクールな現実主義が混在し、楽しくも哀しくも「30歳のリアル」という感じ。いや、「リアル」というのは違うか。何しろ妄想はとどまることを知らず、現実や実体験が追い付かないから足りない部分をさらなる妄想で補完、そのうちになんだか現実が面倒くさくなってきたわい、という困ったスパイラルの大展開。しかし今や夢見がちなだけにもなりきれず、自分の内から外から否応なく迫りくる「現実」という課題に対して、強気になったり弱気になったり、何かと忙しい乙女心なのだった。満開なのは桜じゃなくて私たちの脳内だわよ、って言いながら、ああ、千二百有余年の都の陽ざしのうららかさ。
平安神宮でひいた桜みくじは、ランク最下位の「つぼみ」だし。可愛らしい桜色の紙に書かれた「自分の力量をさとれ」の文字が目に刺さる。ちなみにMちゃんは「三分咲き」だった。つ、つよく生きようぜ!!!