旅と日常のあいだ

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言葉でどこまでできるのか。穂村弘と谷川俊太郎の対談

河出書房新社の雑誌「文藝」最新号で穂村弘の特集が組まれている。谷川俊太郎との対談を読みたくて買ったのだが、これが何回読んでも素晴らしく刺激的で面白い。

対談のタイトルは、「言葉で世界は覆せるのか?」。穂村さんから谷川さんへの問いは鋭くて切実で、読んでいて興味深い。対する谷川さんの答えはある意味おおらかで、それを聞いて絶望しそうになる穂村さんという図式。

それから、穂村さんの語る言葉の(その表現の)、正確かつ独創的かつ明快なところがとても好き。たとえば、「僕はそこ(言語)に過大な期待があって、何か神様の裏をかくというか、神が初めて見るような詩の一節が自分の手に乗る瞬間が訪れるんじゃないかという妄想が常にある」という文章とか。「神が初めて見るような詩の一節」というフレーズからして既にひとつの詩句のように思えてくるのは、私が穂村さんに心酔してるせいだろうか。

もうひとつ「おおっ」と膝を打ったのは、本上まなみが寄せたエッセイの中の一文。なんと穂村さんのことを、「森見登美彦氏と並ぶ現代の二大自意識過剰青年風、つまり乙女の母性本能をとことん刺激してくる二大ファンタジスト」と評しているのだ。激しく同意! 本上まなみに一票! (ちなみに本上まなみの夫は編集者で穂村氏とつながりがあり、森見氏は本上まなみの大ファンで文庫に解説を書いてもらっている間柄)

だけど今回のこの「文藝」、いちばんステキなのは巻頭グラビアだ。タイトルも、「眼鏡」。穂村さんといえば黒ぶち眼鏡だからな。眼鏡写真に眼鏡イラスト、眼鏡短歌がめじろおしで、なんというか混乱と浄化がないまぜになった魅力的なページなのだ。

言葉を操ってきれいなものを作ったり、世界を凍りつかせたり、まだ誰も見たことのない一節を発見したり、そういうことの可能性はいくらでも残されている。そのことに、何かとてつもない希望を感じる。言葉でどこまでもいけそうで、うーん、怖いものなんか何もないわっていうくらいの気がしてきた。