旅と日常のあいだ

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その肉の正体が気になる。静岡県菊川市、応声教院

私は先日、この世ならざるものを見てしまった。輪廻の秘密といってもいいと思う。今でも、あの不思議物体の正体がわからない。

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それは、先週末のこと。友人に「珍妙なお寺があるから行ってみないか」と誘われ、静岡県菊川市にある「応声教院」に行ってきた。珍妙な寺って何?と思いながら向かった私だが、そこに待ち受けていたのは予想を超えるカオス空間であった。

まず入口。小高い場所に朱塗りの山門が建っている。この門は重要文化財らしい。

門の脇には蛙の石像があった。巨大な蛙の足や背中に小さな蛙がのっている。全部で6匹。石像の下には説明があって「心からお六蛙します」とある。「六蛙」で「おむかえ」と読ませたいらしい。6匹の蛙・・・。いきなりのダジャレ攻撃。しかもかなり無理がある。

山門をくぐると、一帯にはワケのわからぬモノが点在していた。

・池の中にたたずむ河童の像(何体も)。

・日本唯一という「飲んべえ地蔵」。人が入れる大きさの酒樽が置いてあって、中を覗くと酒瓶を持った地蔵がでっぷり座っている。酒好きの親を亡くした人が供養のために寄進したものらしい。ううむ。

・「蛙の面に小便」と題された人形。小便小僧が描く放物線が、ちょうど池中の蛙(の像)に当たるようになっている。それはわかるんだけどさ、一体何のために??

・茶どころ静岡ならでは?「お茶地蔵」。

・「昼も夜も文句も言わず見張りを続けています、お金をください」という札を付けた犬の置物。

節操も何もあったもんじゃない。

裏手にまわると数百体はありそうな水子地蔵が並んでいた(水子供養で有名な寺なのだ)。その手前には、小坊主の人形が置いてある。電気仕掛けの人形で、100円入れると木魚をたたきながらお経を読んでくれるらしい。機械仕掛けの坊さん・・・。いいのかい、こんなんで。なんていうか、お手軽すぎやしないか? ちょっと虚無感に襲われる。100円を入れて動かしてみたかったが、ずらりと並ぶ水子地蔵の前で興味本位にお経を唱えさせるのも悪趣味かと思い、自粛。後ろ髪を引かれつつ坊さん人形から目を離したところ、次に視界に飛び込んできたのは、ロダンの「考える人」の像だった。

ここで何を考えてるのさ! バックに数百体の地蔵を従えて!いやーもう、意味がわからなすぎて、いっそ小気味いい。

ここまでを見たところで、アレがないことに気がついた。今日の目玉、この寺にあるという最後の秘宝。実はこの寺には「竜のうろこ」があるらしいよと、道すがら友人に聞かされていたのだ。竜のうろこ! それは見ないわけにはいくまい・・・っていうか、それ、何なの? 竜のうろこって、何なのー!?

ここで応声教院の由来を簡単に説明しておこう。

昔、皇円(こうえん)という僧がいた。50億年後にこの世に現れるという弥勒菩薩に出会うため、その時まで生きていられるような長寿の生き物に生まれ変わることを願った。願いがかなって、皇円は竜になった。そして静岡県御前崎市にある桜ヶ池(そういや数ヶ月前に行ったな)を住処とした。あるとき、皇円の元を弟子である法然が尋ねてきた。そんで、お互いに近況報告とかした。皇円は「竜になってみてわかったんだけど、うろこに虫がついちゃって痛いんだよう」と言った。それを聞いた法然、師匠を救うべく南無阿弥陀を唱えた。すると不思議、皇円のうろこがパラパラと剥がれ落ちるではないか。晴れて、虫とも痛みともおさらばだゼ!(そんなわけで、桜ヶ池の竜にはうろこがないそうな。)法然はその後、応声教院に立ち寄ってここを皇円の菩提寺とした。その際、剥がれ落ちた竜のうろこを、皇円の片身として持ち込んだそうじゃ。

とまあ、そんな話だ。とても現実的ではない内容だ。しかし、ここ応声教院には実際に「竜のうろこ」が存在するという。これによって伝承と現実がつながるというか、過去の物語が現在によみがえるというか。それってとてつもなく面白い。わたくしの興味は高まるばかり。

さてその竜のうろこ。秘宝ゆえさすがに屋外に(ほかの変テコなものと一緒に)置いておくわけにもいかないのか、宝物殿に安置されているという。我々は、受付にいた坊さんに声を掛け、見学と説明を請うた。坊さんは一瞬、「ホントに見るの?」という表情をしたような気がした。(やべえ、あのウロコどこにやったっけ?)みたいな顔に見えたが、気のせい気のせい。すぐに本殿に案内してくれ、上に書いたようなことを面白おかしく話してくれた。

で、寺の由来はよくわかったのだが、私の興味はただ一点、「竜って実在するんですか」ということ。説話の揚げ足を取りたいとかじゃなくてね、純粋な好奇心として。だって、願えば竜になれるとか、今も桜ヶ池に竜が眠っていて50億年先を待ってるとか、聞き捨てならんでしょ。その神秘に迫りたいでしょ。そのための根本として、ここはしっかり確かめておかなくては。すぐにも尋ねたくてうずうずしていたのだが、思わぬことに坊さんの方から先手を打ってきた。

 

「ご存知でしょうが、竜なんてものはこの世にいませんからね」

 

 ええーー!!随分あけすけ! 信心とか、どこ行った!?

「生まれ変わったとか、竜になったとか、それはまあ、彼らの心の世界の話ですから。我々に簡単にわかるようなモンじゃありません」

うわあ。そうか、なるほど。心の世界か。この説明に、私は深く深く納得させられてしまった。心の世界じゃ、なんでもアリだもんな。でも、じゃあ、竜のうろこは? 宝物殿に納められた秘宝の正体は、なんと説明する?

我々の疑念と期待を見通したように坊さんはニヤリと笑い、「では、宝物殿へ・・・」とギシギシと鳴る廊下を進んでいく。突き当たりのシャッターをガラガラと開けると、薄暗い板の間が現れた。

展示物は、掛け軸やら、ボロボロになった傘やら杖やら、法然の直筆という「南無阿弥陀」の文字やら。そこに混じって「当寺で使用している大しゃもじです」などという巨大しゃもじがぶら下がっていたり。ここに置くなよ。そんな中、ひときわ異彩を放つ脚付きの棚が鎮座。台の上に、厳かな感じで黒っぽいものが載っている。赤ん坊のこぶしくらいの大きさの、化石みたいなもの。「肉付き三枚半」という札が付いている。こ、これが、アレなのか!

「ハイ、竜のうろこです」と坊さん。「でも何度も申しますが、竜なんてのはいませんからね。心で見たものを、後から『こんな感じじゃないかな』と作ったんでしょうな。誰かが何かで作ったわけです」

・・・うん。わかった。本物とか偽物とかって話じゃないんですよね。心の話だからね。説明のとおり、3枚半のうろこ(黒くて厚い。蓮の花のように組み合わさっている)に肉が付いているようであった。竜の肉! 激レア! しかし惜しいかな、肉部分は白い布でくるまれており目視することができなかった。

ひととおり説明が終わると、坊さんは「後は好きに見てね」と言い残して去っていった。宝物殿に取り残される我々。大丈夫? 大しゃもじとか、持って帰っちゃうよ? キョロキョロと室内を歩き回って心の世界のアレコレを鑑賞。そしたらあなた、私は見つけてしまったのだ。部屋の片隅に置かれたワニの剥製を。なぜこんなところにワニが? ワニ。その表面の、固いうろこ。うろこ? 竜の、うろこ? ま、まさかね!

見るものを見尽くし、ほこりっぽい宝物殿を後にして明るい本殿に戻る。建物の入口から、来たときに最初に見た山門が見える。しばらくすると坊さんがやってきて「あの山門」と口を開いた。文化財ということなのでてっきりその説明かと思ったら、「門の下に、椅子に座ったおばさんがいるでしょう。あれね、あそこは日陰になって涼しいから、勝手に椅子を出して休んでるんですな」などという。はあ。いいんですか、そんなゆるゆるで。いいんでしょうな。

帰り際、山門までの道で再び河童や蛙や犬の像を眺める。それから、さっき見たうろこのことを考える。あー。なんか全部アリかもー。ワケわかんないけど、別にいいや。河童もロダンも竜も、問題なし! オールオッケイ! なんだろう、この大らかな気持ち。ちなみに宝物殿見学は300円だったのだが、坊さんは「気持ちだけ賽銭箱に入れてくだされば結構です」といった。フトコロでかい。

謎な仕掛けが満載の応声教院。この脱力感こそが、欲のない無心の状態を生んで悟りへと導いてくれるのだろうかと深読みしてみたり。ウケねらいじゃないはずだけど、何もかもがちょっとずつウケる。いい感じに。あのお坊様のセンス、ただ者じゃないわい。

久々の寺めぐりはパンチが効きすぎて刺激的だった、本当に。あと、坊さんの話って面白いんだよなーということを再確認。いやいや、満喫。