旅と日常のあいだ

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何のための嘘なのか。江國香織『スイートリトルライズ』

何気なく手にした江國香織の『スイートリトルライズ』を読む。江國さんの作品は一時期よく読んでいたのだが、独特の空気感や間合いがだんだん合わなくなってきたような気がしてきてしばらく遠ざかっていた。で、今回数年ぶりの江國さん。知らず知らず引き込まれて、するすると気持ちよく読めた。これはうれしい再発見。

嘘をつく、って必要悪なのかな。その嘘で、ほかの何かが守られるということがあり得るのなら。それとも、嘘をつかなければ守れないようなものは、どうせいつか壊れてしまうとも考えられるか?

<嘘をついている私>という罪悪感や背徳の思いが、状況を現実以上に甘美なものに見せる、ということもありそうだ。そこに<嘘をつくのは何かを守るため>という言い訳を重ねるとしたら、それは自分勝手以外の何者でもないような。

あー、でも、人に嘘をつくのと自分に嘘をつくのでは、また意味が違うかも。人を守るために自分に嘘をつく。自分を守るために人に嘘をつく。どっちがつらいんだろ? 自分が嘘をつかれたら、どうだろう?

物語中にはたくさんの嘘が出てきて、確かにそれで守られているものがある。でもそうやって守っているものは、嘘をつくことをやめたらすぐに均衡がくずれてしまうような危ういもの。で、これが不思議なんだけれど、その危うさの分、そこにやさしさとか愛おしさがあるように思うのだ。それを、「そんなのは嘘をついてることに必然性をもたせるための言い訳に過ぎないだろう」と断言することは誰にもできない。当事者以外には。あきらめにも似たそのやさしさこそが現実で、それはそれで居心地のいいものだとしたら、嘘をつくのも必要なことなんだろう。

ちなみに私は「嘘は悪だ」とは思わないが、我が身を顧みるに、嘘がうまいとはいえない気がするな。といっても、ついた嘘がどう作用するかなんてことは後になってみないとわからないわけで、結局、そのときそのときの自分が拠り所とするものに対して正直であろうとすることしかできないのだけど。そんな謀略家でもないし。

あともうひとつ思ったのは、<小説みたいなドラマティックな出来事は小説の中に留めておくのが良かろう>ってこと。ここに登場する人間関係や嘘がなんだか甘くて素敵なもののように思われるのは、これがそういうふうに作られた小説だからです、ってことを自分に言い聞かせておこう。嘘を散りばめた挙句にぜんぶ壊れてしまう、なんて、やっぱりスマートじゃないものね。

スイートリトルライズ (幻冬舎文庫)

スイートリトルライズ (幻冬舎文庫)