数年前に本でその姿を見て以来、「いつかこの目で」と思っていた三春滝桜。晴れた日曜日に満開が重なったので、機を逃すまじと新幹線に乗った。
「いつか行きたい」って言い続けることは、実は「別に行かなくてもいい」っていうのと同義かもね。本当に行きたいなら、何としてでも行けばいいだけだ。とりあえず自由に動けちゃうくらいの時間とお金があるって素晴らしい。大人になってよかったなとつくづく思う。
というわけで、新幹線を乗り継いで福島県は三春町へ。めざす三春滝桜は日本三大桜のひとつに数えられる枝垂れ桜で、樹齢1000年以上という名木だ。
私の住む静岡ではとっくに葉桜だが、三春では今まさに花の見ごろ。線路沿いに、町なかに、ソメイヨシノが枝垂れ桜がわさわさと咲いていた。
そんな中でも滝桜は圧倒的だった。私が数年間ふくらませた想像を見事に気持ちよく上回る姿だった。
人手も超一級です
幹に近づいて見上げたところ
この春、私はずいぶんいろんな桜を見に出かけて、小田原やら身延やら京都やらで老齢の枝垂れ桜もたくさん見て、そこに強さや美しさや途方もない時間を感じて随分しゃんとした気持ちを味わったものだけれど、滝桜が及ぼしている力といったらなかった。あの一帯を、滝桜が完璧に支配している感じだった。そうでなければ、たった一本の桜を、ただ2時間も眺めたりはできないだろう。滝桜をじゅうぶん目に焼き付けた後、町内の桜名所をいくつかまわる。桜の妖気にあてられて、なんだか眩暈がしそうだ。
滝桜がこの先、千年も二千年も生き続けることを想像する。あの木の周りでは、桜以外のすべての生物が何代も何代も入れ替わる。滝桜はじっとあそこにあって、花を咲かせ、葉を茂らせ、雪を積もらせる。でも誰も、そんな遠い未来のことを確かめられない。すごい。ぞくぞくする。
この春、桜を追いかけるのはこれで終わり。どれもそれぞれに明るくて、もの悲しい気分になって、とにかく美しくて、好きだった。
ひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ 紀友則