旅と日常のあいだ

石川県発、近場の寄り道から海外旅行まで。見たもの、食べたもの、面白いことの共有。


雲の上の巡礼者たち。初めての富士登山

土日をかけて、富士登山を敢行した。

初めての登山にして、無事登頂。暑くて寒くて息が上がって砂まみれで二度と富士山なんて登らないとぼやきつつ、それでもたどり着いた山頂から見る天空の世界はすべての疲れを忘れるのに十分だった。無事に下界に戻った今、あの日見た景色は既に遠い夢のよう。

さて今回の登山では<富士宮ルート>をとる。バスに揺られてスタート地点である五合目へ。標高2400メートル。ちょっと涼しい。登山靴の紐を締めなおし、意気揚々と出発する。まだまだ頂上は見えない。

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富士山って、近くで見るとこんななんですよ

 

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登山道は砂礫や溶岩がゴロゴロしており歩きにくい。空気が薄いためか呼吸が浅くなるので、つとめて深く深く息をする。周囲の植物がだんだん少なくなっていく。歩きながら振り返れば、下には雲。下りてくる人とすれ違いざまに励ましの声を掛け合ったりしながら、もくもくと進んでいく。老いも若きもみな登る。スカートで登る女子もいたし、スーツ姿の男もいた!

十分おきくらいに足をとめて休憩する。呼吸を整えて、氷砂糖をなめる。休憩中の登山者たちは「下界に降りたら何を食べたいか」という話題が多いらしく、隣にいた男性二人組は「おしんこ食いてえーーー!!」と叫んでいた。別の女性グループは「ジューシーな桃が食べたい!」と吠えていた。ちなみに私は七合目あたりで「焼肉が食べたい」と呟いていた(下山後にそれは実現された)。

登ること五時間あまりで、宿泊地である九合目に到着。既に標高3400メートル。山頂でご来光を見るために今日はここで仮眠をとり(山小屋の消灯は20時である)、午前2時ごろにむくむくと起き出して夜の道を再び歩き始めるのである。

深夜の富士山は本当に寒い。眠い目をこすり、長袖3枚を重ねて出発。山頂まで1時間あまり、街灯なんてない山道では手にした懐中電灯だけが頼りである。上を見ても下を見ても、山頂へ向かう人の列は途切れることがない。登山道沿い、真っ暗な中を揺れる明かりが連なっているのはなかなか幻想的な眺めであった。頭上を仰げば、星くず、天の川、流れ星。歩いてるうちに、刻一刻と東の空が白んでくる。

午前4時過ぎ、静かな興奮とともに遂に山頂に到着。あたりが暗いので様子がよくわからないが、荒涼とした岩場に集う人が見つめる先は同じ。雲の向こうがわ、紺碧の空の際が線香花火の最後みたいな熱い熱い赤に染まりだす。 オレンジ色の光が強くなり、どうしようもなく朝の勢力が増してくる。 ごく自然に、夜が姿を消していく。気が付けばもう、あたりは光に満ち満ちている。

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ご来光を背にして下方を見やると、びっくりするものが視界に飛び込んできた。影富士である。朝日を受けた富士山が、自身の影を映しているのだ。登っている間にはどうしても見ることができない美しい山の形をこうして山頂から影として見ることができるとは。なんてきれいな、実体のない富士山。

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私的に盛り上がったのは、雲海である。見ていて飽きることがないんだもの。水墨画のような濃淡の世界は、どこまでも清らかで深遠で大いなる感じがする。山頂の火口周囲を歩きつつ、雲と空と遠い山々が作りだす光景にうっとりと見入る。うっとりと見入っていたはずなのに、気が付いたらその辺の地面に転がって眠っていた。深夜からの歩きどおしで疲れがたまっていたらしい。標高3700メートル、むきだしの岩肌の上で二度寝。寝言も風に飛んでいくというものだ。

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最高峰の剣ヶ峰(3,776メートル地点)にも登り、山頂郵便局からハガキを出して下山。戻ってきた平地は夏の暑さが厳しく、同行者ともども一気に夏バテ症状を訴える。 これに勝つためには肉を食べてスタミナ増強しかあるまい、ということで悲願の焼肉へ。 富士の山で感じた静粛な気持ちはどこへやら、カルビやハラミやタンを旺盛に食して日が暮れる。その間にも、山には寒い夜が訪れて空には星が輝いて朝になればまた日が差すのだな。いつだって泰然自若な富士山のようにありたいものだ、などと殊勝なことを考えるまもなく、焼肉屋ではごはんのおかわりに余念のない私であった。

それでも、いつかもう一度、富士山に登ってもいいなと思う。